時代の流れとはいえ、自分が深く関わった建物が使用されなくなり、やがて消滅してゆくことは言葉にできない寂しさを伴うものです。実は私は生家が廃屋となり、次いで小学校、2つの中学校(2年生で転校したので)、そして大学の寮と私設の学生寮などが相次いで消滅してしまいました。特に小学校と私設の学生寮は印象も思い出も強く、その消滅に伴う寂寥感は大きくて、何時思い出してもたまりません。幸い生家は弟が修復してくれているおかげで建物がしっかりしており、時間のある時には泊りにかえっています。
中国山地の古からの風習や行事が毎年繰り返され、約70種類の農作物の種蒔きから収穫まで、また家畜(牛、山羊、羊、鶏、兎、犬、猫)の飼育などを合わせると、毎日作業に追われていながら、同時に季節ごとの行事が入って多彩で季節感にあふれた生活でした。そして、それらの情景がいつでも瞬時にありありと想起できます。
全ての人が持っている幼小児期の思い出ですが、自分には一層多くの思い出を与えられているように思えて独り悦に入っています。無人のまっ黒になった居間に座って囲炉裏の火を見ていると、次から次へ取り留めもなく走馬灯が回り、休養に帰った短い休みは決まって寝不足になり、むしろ疲れて現実界に戻ることになってしまいます。
墓石の読み取れるもっとも古い没年は“元禄時代”で文字の書かれていない“地蔵型や二つの玉を重ねた“だるま型”の墓石の方が、文字の読める墓石よりはるかに多いですので、この地に住み着いたのは遅くても12~13世紀ではないかと推定できます。
山地の斜面や谷合の狭いところに石垣を積んで田畑にし、細々と命をつないできた先祖の姿を想像すると、自然に懐かしさと愛おしさが湧いて、今目にしているまっ黒な柱や梁に手をあてるとその話し声が聞こえてくるようです。そして、目を閉じて囲炉裏の火の燃える音だけしか聞こえない静けさに浸ると、完全にこの世を離れた空間におかれている感覚です。この静寂の中で暮らすことによって、一層純粋で深い思慮を得られるのではないかと思うと、この地を離れて下界に浮遊している現在の暮らしが本当に良かったのかと考えさせられます。また、この地にとどまって暮らしていたら今頃自分はどうなっていただろうかと想像し始めると、別の世界に踏み入って時間が過ぎてしまいます。ですが、今さら生活の拠点を変えることは不可能ですので、自分の運命を受け入れ、このような郷里があることに感謝して、可能な限りこの空気に浸りに帰りたいと思う次第です。
ウグイスの モーニングコール 我が生家 夜半鼡の 距離競技会
. (平成27年7月、3年ぶりに帰省)
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