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施設長コラム

耳に痛い忠告や非難こそ貴重な成長の糧

人は誰でも誉められれば喜び、叱られれば沈み、あるいは反発するものです。
表題の言葉はどなたでもご存じの言い古されたものですが、日常の実際の場面で叱責や罵声を素直に受け入れるには、よほどの心の鍛錬が必要です。
卑近な良い例は“子供を叱っている自分がかつて親から言われた言葉をそのまま使っている”ことに気づいたときです。
反抗心で凝り固まっていたときには、ただただ煙たいだけだった言葉の良さを心の底では受け入れていたのであり、逆の立場になって初めてその真意が判ったのです。
最近若者の間で流行っている“切れる”という言葉は、
  若殿様   「爺、堪忍袋の緒が切れた。」
  彦左衛門  「若、切れたら結べ。切れたら結べですぞ。」
から借用しているはずですが、使用意図はずいぶん曲げられていて自分の姿の反省をしないことを、相手に認めさせようと放言しているのです。すなわち、思考回路の未発達を露呈しているか、“よそおっている”かです。
精神的成長を停止するという宣言ですので、少なくとも一人前の成人として要求する資格も失うことを判っているのでしょうか。
本題に戻って、叱るということには、“もっと考え、もっと工夫しろ”という励ましの気持ちが含まれています。
いやな上司、憎いライバル、生意気な部下など、発言元は様々でしょうが、自分の成長のためには、現状を良しとする誉め言葉よりは何倍も貴重な助言なのです。聖書にも“神様は時に悪魔の口を通して真実を語られることがある”と書かれています。
見たくない顔は見なくても良いので、虚心にありがたい言葉だけをいただいておきましょう。
ただ、それには日頃から頭の上を通り過ぎる叱責の声を判断・選択して受け止められる自分を作っておかなければなりません。他と比較して、自分の優位性にほくそ笑む段階を卒業して、自分の現状把握と向上だけを追求する姿勢に脱皮する事です。
禅宗で教えている「人生の道場は日々の生活にあり」と認めたとき、叱責あるいは非難がそのときの自分に最もふさわしい“公案”になるでしょう。


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